Project Story
プロジェクトストーリー

パークコート千代田富士見 ザ タワー


時の流れを受け止めながら
新たな世代へと継いでいく仕事。

Profile

牧野 惣一

都市開発一部 営業室/2007年入社
(現在は事業創造部 事業室)

約16.700㎡の敷地で推進する 大規模複合再開発事業
飯田橋駅西口駅前に広がる千代田区富士見エリアで、街づくりの検討がスタートしたのは、2001年のことだった。2004年には再開発準備組合が設立され、2010年4月の再開発組合設立に至った。「飯田橋駅西口地区市街地再開発事業」として推進され、「住む・働く・愉しむ」を三位一体とした新しい街のあり方についての検討を重ね、超高層のオフィス・商業棟と住宅棟などからなる新たなランドマークの創造を目指すプロジェクトが動き出す。そして、このプロジェクトの着工を控えた2011年4月、住宅棟部分にあたる「パークコート千代田富士見 ザ タワー」の営業担当を担う所長として着任した牧野 惣一に、プロジェクトがどのような展開を見せたのかを振り返ってもらった。

Prologue 江戸と西洋の文化が交差する街、千代田富士見

飯田橋駅西口地区は、千代田区北部の外濠の内側に位置し、近接する飯田橋駅は、JR・地下鉄計5路線が乗り入れる都心有数の交通の結節点となっている。周囲には、外濠の土塁や江戸城外郭門のひとつだった牛込見附跡もあり、江戸の面影を色濃く残すエリアだ。加えて、明治時代にフランスから来日したという修道士たちの活動に由来する学校や教会、フレンチレストランやカフェも多く、西洋の文化を感じさせる佇まいも、この街の魅力となっている。
こうした江戸と西洋の文化が交差する街にふさわしいすまいをかたちにして、ここにすまうことを誇りとする人々に提供していこうというのが、この街と向き合いながら推進されてきた、本プロジェクトが辿り着いた基本的なスタンスだった。デザインコンセプトは「粋とエスプリ」。江戸の美意識と西洋の精神を、ファサードデザインや共用空間の設えなどに採り入れる表現が決まっていった。
一方、営業を担当する牧野たちの役割は、ここに“すまう”ことの魅力を、その言葉や映像によって表現し、将来、この街の主役となるお客様に伝えていくことだ。それまで開発担当者を中心に推進されてきたプロジェクトを引き継ぎ、これまでの経緯を理解し、その土地・建物の特長を把握した上で、この物件ならではの営業戦略を練り上げていくことになる。

Episode.1 お客様にどのように語りかけるのか

営業所長として、このプロジェクトを担当することになった牧野は、社内でも注目されるフラッグシップ・プロジェクトに携わることに大きな手応えを感じていた。同時に、失敗は許されないという覚悟と、都心の高額物件を担当する上で確かな戦略の必要性を感じたという。特に、牧野が所長として着任した2011年4月は震災の直後であり、その影響を受けて、都心の高額物件に対する反応にも少なからず変化が見られるようになっていた。それまで旺盛だった海外からの需要が冷え込むなど、その後のマーケットの動き次第では、より慎重な対応を迫られることも予測できた。しかし、そうした不安材料よりも、目の前で検討を進める物件の魅力が際立っていたと牧野は言う。
「千代田区という稀少性の高い立地に位置する、総戸数505戸、地上40階建の超高層レジデンスであり、オフィスや商業施設と一体となった複合再開発物件であることなど、ここでしか成立しない好条件が整っていました。通常なら乗り越えなければならない課題が必ず存在するものですが、それが見当たらない。魅力的なセールスポイントをどれだけうまく表現し、伝えきれるのかという、少し贅沢な悩みがあったくらいです」
とはいえ、都心の高額な物件を手にできるお客様は限られる。また、想定されるお客様の中でも、特にこの物件に興味を感じていただける顧客層に、より戦略的に効果的なプロモーションを推進することが求められた。牧野は、過去の高額物件の経験や周辺エリアでの供給物件の販売実績などを活かし、想定されるお客様のイメージを絞り込んでいく。
「イメージしたのは、富裕層のなかでも堅実なタイプの方々。その土地の歴史などに関心が高く、素材へのこだわりといった話題にも協調していただけるといった方が多いのではないかと想定しました。公式ホームページや新聞広告を通じた情報提供以外にも、お客様の職業や勤務先といった詳細なイメージを具体的に想定し、独自のプロモーションも戦略的に行いました。」

Episode.2 レジデンシャルサロンというプレゼンテーション空間を創造する

2012年の春にはモデルルームのオープンに向け「パークコート千代田富士見 ザ タワー」に関する本格的な広告展開がスタート。お客様からの反響は上々で、物件へのエントリー数は当初の目標を大きく上回るペースで推移した。同時に、この物件に関心を示されたお客様をお迎えするレジデンシャルサロンの準備も急務となった。こうした大規模なプロジェクトでは、営業担当者がお客様と対面して説明できる時間には限りがあるため、それを補う機能がサロンには求められることになる。訪れたお客様に対して、より効果的かつ戦略的なプレゼンテーションを行うために、シアターやジオラマ、モデルルーム、商談スペースなどのレイアウトも、お客様の特性や動線を意識して、物件の魅力を最大限伝えきることができるように空間をつくり込んでいったという。
「この物件が備える風格というものを、レジデンシャルサロンを訪れた瞬間から感じていただけるような設えを意識しました。サロン内の空間や、シアターでご覧いただく映像では、実際に外壁や内装に使われる素材へのこだわりを五感で体感しご理解いただくことに努めました。そして、これは当時としては初めての試みだったと思うのですが、彩色しない白いジオラマを用意して、これに江戸から明治、そして現在の姿を投影するというプロジェクションマッピングの手法を導入しました。このエリアが辿ってきた歴史と街並みの変化を、お客様の目の前に再現することで、外濠の内側にすまうことの価値を、お伝えしたいと考えたのです」
来場されたお客様に伝えるべきポイントは、レジデンシャルサロンが備える機能や設備によってアピールし、営業担当者は、お客様それぞれのご要望に応え、それに対するソリューションを提供することに力を注ぐべき。そんな牧野ならではのマネジメントは、お客様へのプレゼンテーションの空間設計においても表現されている。

Episode.3 司令塔として進むべき方向を示し、チームを動かしていく

約6カ月間に及ぶ広告展開によって、想定以上の反響を得ることができた。そしてその後に、エントリーしていただいたお客様をレジデンシャルサロンに招く事前案内会が開催される。サロンが完成し、事前案内会がスタートしたのが、2012年9月。社員に加え現場全体では80名ほどの営業スタッフがお客様をお迎えすることになる。そして、この日を迎えるにあたって、スタッフ達の物件情報習得やお客様をお迎えする準備のために、2カ月ほどのトレーニング期間が設けられている。
「今回、召集されたスタッフは、必ずしも都心の高額物件の経験が豊富な方ばかりではありませんでした。こうした物件を担当すること自体、恐れ多いという空気すら感じましたので、まずはそれぞれの中にある壁を取り払ってもらうことからスタートしました。集められたメンバーは、社内でも注目されるプロジェクトであることは十分に理解していましたから、このプロジェクトの終了後には、あの『千代田富士見』を経験したのはすごいねと称賛されるような、成功物件にしていこうということを、一人ひとりのメンバーに伝えていました」

Epilogue 胸に刻まれる、フラッグシップ・プロジェクト

「パークコート千代田富士見 ザ タワー」の第1期の契約は、2012年11月。抽選となる住戸が多数出るほどに、お客様の高い評価が得られた。そして翌2013年3月には全戸の契約が完了する。引き渡しが2014年6月であることを考えれば、異例のスピード決着ということになる。そして、牧野がメンバーに伝えてきたように、このプロジェクトに関わった営業担当者それぞれの胸に刻まれる、フラッグシップ・プロジェクトとなったことは明らかだ。

パークコート千代田富士見 ザ タワー物語

外濠の内側、石垣の傍。江戸の時代から日本の中心として、この国の発展を見つめてきた地、千代田富士見において推進する総戸数505戸、地上40階建の大規模複合再開発プロジェクト。その土地の歴史とすまう方々の想いを引き継ぐ三井不動産レジデンシャルにとって、またこの街が目指した理想に賛同し、ここに新たにくらしはじめる居住者にとっても、特別な場所でなければならない。その想いを、プロジェクトに携わるあらゆる人が共有し、やがて、この街の主役となる人に受け継がれていくというプロセスが、まさに今回のプロジェクトではなかったのかと考えさせられる。「パークコート千代田富士見ザ タワー」の東側には、牛込見附をシンボルにデザインしたという駅前広場が、この街の賑わいを演出。外濠公園の自然と一体となった遊歩道が、帰られる方をやさしくすまいへと導く。この地で、新たな時を刻む人のために、この地に受け継がれてきたものをさらに豊かなものにするために、三井不動産レジデンシャルの知恵と技を結集したすまいの姿。それが「パークコート千代田富士見 ザ タワー」なのだと思う。