三井不動産レジデンシャル株式会社

三井不動産レジデンシャル株式会社RECRUITNG 2018

プロジェクトストーリー

パークコート神楽坂


450年以上続く神楽坂の守り神
この地を活かし、この地を守る
神楽坂「赤城の杜」プロジェクト

Project Data

高木 洋一郎

都市開発二部 開発グループ/1998年入社
(※現在は、東京オリンピック・パラリンピック選手村事業部 推進グループ)

神社と一体となったマンションを建てる大胆で緻密なプロジェクト
いまなお路地裏などに江戸風情を偲ばせる“粋な街”神楽坂。その神楽坂の守り神とも言える赤城神社の老朽化に伴う建替計画がスタートした。再生に向けた開発事業の打診を受けたのが三井不動産レジデンシャルであり、そのプロジェクトの中心的役割を担ったのが当時都市開発二部所属の高木洋一郎。神社の敷地に73年の定期借地権を設定し、そこに神社とマンションが一体化した建物を計画するという、大胆にして緻密な事業再生スキームでこのプロジェクトに挑んだ。そんな高木の奮闘の日々に迫る。

Prologue 少子化による神社運営の課題
―敷地内幼稚園等から新しい建物での資産運用への転換

450年以上もの月日にわたり、牛込神楽坂の守り神として地域を見守り続けてきた赤城神社。江戸時代には『赤城大明神』と呼ばれ、永田町の『日枝神社』、神田の『神田大明神』と並び、「江戸の三社」と呼ばれたこの赤城神社だが、少子高齢化や人々のライフスタイルの多様化などといった社会環境の変化により土地を鎮りながら存続をする「新しい形」の必要性が問われていた。いずれにしても前回の建替から60年余りが経過し、老朽化対策や耐震性能向上に向けた対応の必要があった。規模の大きい神社とその付属施設を建替えるコスト自体は重く、単独の資金で全てまかなうのは難しい――

そんな難しい状況下での解決策を求めた先。それが三井不動産レジデンシャルであり、プロジェクトの中核役を任された高木だった。「神社であることを変えないという前提があるだけに、神社側の費用面も含めてお互いに成立する事業システムを構築するにあたり、これまでの“正攻法”では通用しないことは分かっていました。そこでたどり着いたのが“定期借地権の活用”と“一棟の建物内での共存”という方法でした。神社の建つ底地に73年の定期借地権を設定し、その上にマンションを建て、一部を運用資産として保有することで地代収入と賃貸収入の2つを神社運営に役立ててもらう、という大胆にして“革新”的な方法です。事実上、これ以外に方法はありませんでしたね。」と高木は振り返る。これまで静かに地域を見守ってきた鎮守と三井不動産レジデンシャルのマンションの融合というかつてない試み。高木の新しい挑戦がスタートした。

Episode.1 コンセプトは“赤城の杜再生計画”

由緒ある牛込・神楽坂の総鎮守であるだけに、「いかに神社のたたずまいや厳粛さを損なうことなく、マンションとの共存を図るか」という点が今回のプロジェクトにおいて最大のテーマとなった。
「コンセプトは“赤城の杜再生計画”。約70年入居後の定期借地権が切れた時点でマンションは解体され、それまでの敷地を杜へと還元することをもって成就とする計画です。」 そうやってかつての鎮守の森を取り戻し、緑溢れる神社の杜として復活させる、というのが高木の描いたプランだった。
「それに際して最初に行ったことは、どれぐらいの費用でどれくらいの建物が建てられ、入居後の地代や収益で、どれだけ地主である赤城神社にお戻しできるのかといった数字の算出でした」と高木。それが大枠で決まり、導き出されたコストを神社側と創り手である熊谷組との間で折り合いを付けた。

プロジェクトは三井不動産レジデンシャルが開発を担当、そして設計施工は熊谷組が行うという連携の元に進められた。また、マンションおよび新社殿のデザイン監修は、思わぬ人物が協力を申し出てくれた。
「実は著名な建築家である隈 研吾さんが神楽坂在住で、“これを隈 研吾が引き受けずして誰がやるんだ”と協力を申し出てくださったんですよ。こちらとしては願ったりということで2つ返事でお願いさせていただきました。」 そうやってこれ以上ない心強い協力者を得て、プロジェクトはスタートした。

Episode.2 地域の住民に対する説明からスタート

周辺住民への説明会は全てのプロジェクトで実施するが、マンション計画であると同時に神社の建替でもあるという例は少ない。周辺住民=地域の守り神を大切に思う氏子さんという構図であり、地域の住民に対する説明は重要度の高い仕事である。
「長い間お住まいになっている住民が多い赤城地区だけに、説明会も集団説明の他にも、1人1人個別にも相当な回数を行いました。こういったことは前例がないだけに、おざなりの説明では先方も“はいそうですか”というわけにはいきません。赤城神社存続の手段として、いかにベストな計画であるかをご理解いただくべく、氏子さんとなる住民の方々一軒一軒に足繁く通いましたね」と高木。赤城神社が存続の危機に瀕している現状を説明し理解してもらった上で、具体的な存続プランの説明を行うという働きかけ。それはすべての住民の納得が得られるまで行われた。このときが2005年。そして本格的な工事着工を迎えたのが2009年。もちろん、その間には近隣住民に対する説得だけではなく、都市開発二部主導のもと、具体的な計画の検討などが併せて進められてはいたものの、やはり近隣住民の方々にとっても前例のない事業であるがゆえ、その説得には多くの時間を要することとなった。

Episode.3 デザイン監修は隈 研吾氏が担当

前述のように、デザイン監修にあたっては、自身も神楽坂の住人である世界的建築家 隈 研吾氏が担当し、建設工事は熊谷組が担当した。施工フェーズに入ればこれまで積み重ねてきた豊富なノウハウを存分に活かすことができる。事実、施工に際しては大きなトラブルなどもなく、比較的順調なペースで進んでいった。

「施工と併行して、運営面の煮詰めや調整なども行いました。その中心となるのは神社と入居されるお客さまが約70年に亘ってつきあっていくためのルールや仕組みづくり。《神社》という、宗教法人特有の規則や慣例などを加味し、いくつかのパターンを作った上で関係者による協議を行い、最適なものへと絞り込みを行いました。」そう語る高木。特にマンション住民に対しては、一般的な立地のマンションとは異なり、参拝客が訪れ、さまざまな神事・祭事など奉納の精神に基づく催しが頻繁に執り行われる神社だけに、境内との向き合い方、付き合い方を中心とした啓蒙が重要となる。そこで高木は、赤城神社での催し事すべてリストアップした「祭事カレンダー」を制作し、それを元にマンション購入希望者への説明を行うという方法を採った。
「神事・祭事はもちろん、地元の商店街などで神社を使ったイベントなども含め、“この催し事のときは、こういう状況になりますよ”と、催し事に際して起こり得る状況を前もって事細かに説明しました。そうした部分を納得してもらって、購入していただくことがトラブルを防ぎますから。」

Episode.4 「神社の境内に住む」という新たな価値

セールスは施工と同時に動きはじめた。 
「“神楽坂”という街自体が強いステータスを持っていることと、地下鉄の駅からほど近い立地、そして「神社の境内に住む」というこれまでにないすまい方などが大きな付加価値となり、全戸が完売しました。神楽坂ファンにとっては、ずっと求めていた立地であり、マンションだったと言えます。」そう語る高木。その反響は思いの外大きく・広く響き渡ることとなり、目立ったプロモーション活動を必要とすることもなかった。「決して安くはない物件。物件としての魅力だけでなく、このプロジェクトの価値自体が人々に認められ、賛同を得た結果だと思っています。」そう笑う高木の表情には自信がみなぎっていた。

「神楽坂という風情ある街並みに違和感なく溶け込む、調和性の高い設計を行ってくれた隈研吾さんにも最大の賛辞を贈りたいです。神楽坂に住み、神楽坂を愛し、誰よりもその価値を分かる人間だからこその渾身の作品。見事に“赤城神社 再生プロジェクト”を具現化してくれました。」と語る高木。たとえば、マンション内の境内に面するスペースに設けられたカフェスペース「赤城カフェ」やワークショップなどを行う「地域貢献ルーム」などは鎮守としての佇まいを損なうことなく、静かに地域の人々を迎え入れるよう配慮がなされている。氏子の総会や結婚式、講演会などを目的とした多目的ホールは、「参集殿」として赤城神社の地下に配置。また、マンション自体も境内の奥に既存樹で覆われる形で配置され、なおかつ社務所とシームレスにスペースを共有する形で違和感なく建てることができた。「これ以上の形はない」 この建物を見た瞬間、そう高木は確信したという。

Epilogue 神楽坂の新たな文化芸術発信の中心役を果たしていく存在へ

2010年9月。長いプロジェクト期間を経て、赤城神社および「パークコート神楽坂」の竣工式が執り行われた。もちろん、高木自身もプロジェクトの中核を務めた人間として出席。
「竣工式が終わるといよいよお客様のご入居がはじまります。もちろんプロジェクトはこれで終わりではなく、これからも私たちがご入居者と神社の間を取り持ち、確かな調和が生まれるまでは種々のフォローを続けていくことになります。」と高木。

「この赤城神社と『パークコート神楽坂』というのは、神楽坂の新たな文化発信の中心役を果たしていく存在になると思います。」そう語る高木。境内を用いた祭事や社殿や神楽殿を用いた神事はじめ、地域貢献スペースを用いた献茶会やコンサート、講演会など、地域に暮らす人々にとって安らぎを感じる場であると共に、感性を磨く場として利用してもらうことを目指している。
こうしてスタートした<神楽坂「赤城の杜」プロジェクト>。この地で高木らが手がけたすまいが、70年という月日の中でどう磨かれていくのか。その歴史はまだ始まったばかりである。

パークコート神楽坂物語

450年を超える歴史を持つ神楽坂の“守り神”「赤城神社」。その建替時期を迎えるにあたり、敷地内に文化・芸術の「情報発信基地」としての機能を備え、時の流れを楽しむ植栽空間を創る、『神楽坂 刻(とき)の杜計画』と、赤城神社存続に向けた『赤城神社再生プロジェクト』、そして新しい住まいのかたちである、定期借地権のレジデンス『パークコート神楽坂』の3つのコラボレーションから、人と神社とすまいが調和する新しいコミュニティを生み出すのが<神楽坂「赤城の杜」プロジェクト>だ。
デザイン監修は神楽坂在住で世界的な建築家 隈研吾氏が担当。特に『パークコート神楽坂』は、「神楽坂」という地を活かすべく、外観デザインに神社の光や風をやさしく取り込む「大和張り」を採用。木立をモチーフにした縦のラインのファサードで、境内の静謐な空気の中に静かに溶け込むよう高度な工夫がなされている。
神社の社殿、ご神木、新たに植えられる植栽の緑と美しく調和する、気品ある姿。まさにそんな言葉がピッタリの「新しい神楽坂のすまい」がここで育まれている。